当神社について

由緒

創立年不詳。淳仁天皇による創祀とも伝わり、永祚2年(990)に国司藤原成家卿寄瑞をうけ、当国の安寧と繁栄を祈願し、国生みの島の妙なる神の妙なる神州神と称え奉仕の寺四ヶ寺と共に創建したと縁起書に書かれています。

室町末期、安宅氏が、三熊山に洲本城を築いたときに安宅秀一が当社にこもり祈願し、その後も代々洲本城主に崇敬された。

江戸時代には、当神社の目の前に洲本城が置かれ、淡路国における徳島藩の代参所となると共に藩主蜂須賀氏及び家老洲本城代稲田氏の祈願所として特異なる崇敬をうけた。
また、淡路国で初めて檀尻(だんじり)がだされたのは当社である。

ご利益

当社縁起によると永祚2(990)年国司代藤原成家卿が当国の赴任の折りに苦難に見舞われ苦しんでいたところに大神が奇瑞を現され、進むべき方向を示され難を逃れたと伝わり、それ以来全ての人々を苦難より救い、進むべき方向を示す神、開運開きの神として崇敬を受けています。

境内案内

柴右衛門大明神社

元大阪中座に人気の神、芸能の神、商売繁盛の神としてお祀りされて、片岡仁左衛門、藤山寛美さん達の役者や関係者に大事にお祀りされてきたが平成11年中座の閉館と共に里帰りし、境内にお祀りされています。
淡路狸の頭領、日本三名狸に数えられピアノ上達など芸事の神様として崇敬を受けています。
里帰り以来、柴右衛門が木の葉をお金に換える民話より境内の木の葉を金運のお守りとされたり、柴右衛門の石像と写真を撮ると幸せを招くとされ島内より多くの人が訪れ、お参りされています。

兵庫県指定文化財 金天閣

 寛永18年(1641年)に徳島藩主蜂須賀忠英(ただてる)が、三熊山山麓の洲本城内に建てた洲本御殿の一部です。洲本御殿の大部分は明治維新後に取り壊されましたが、この玄関と書院だけが移築され残りました。
洲本城関係者の建物では現存する唯一の建物で江戸時代初期の建築様式が随所に見られ、四国随一の大名家の往時を今に伝えています。

大楠(ご神木)

随神門横の幹廻り6.7メートルの楠木は、兵庫県第4位巨木で健康長寿の信仰を受けています。
樹齢は不明ですが1000年以上とも云われ、千歳の楠と呼ばれています。
また、ご本殿裏の大楠は兵庫県第7位の巨木です。